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日23 (東急バス) : ウィキペディア日本語版
東急バス川崎営業所[とうきゅうばすかわさきえいぎょうしょ]

東急バス川崎営業所(とうきゅうバスかわさきえいぎょうしょ)は、神奈川県川崎市中原区小杉御殿町2-74にあり、同市幸区、中原区、高津区宮前区の一部の路線を管轄していた東急バスの営業所である。営業所の略号は「KA」を使用していたが、2文字となっているのは、略号を制定した当時都内に存在した駒沢営業所の「K」との重複を避けたためである。
2010年(平成22年)10月1日付けで、当営業所の管轄路線をすべて他営業所に移管の上で営業を終了した〔川崎営業所の営業終了について 〕。
== 沿革 ==
川崎における東急バスの幕開けは昭和初期のことであり、2つの前身事業者による路線を挙げることができる。1つは、1933年(昭和8年)に旧・東京横浜電鉄が直営バス事業を再開するにあたり買収した溝ノ口乗合の路線で、川崎 - 溝ノ口間を府中街道経由で結ぶものである。もう1つは、玉川電気鉄道1932年(昭和7年)に個人事業者の八木哲より買収した路線で、丸子 - 新丸子駅 - 勝田間を中原街道経由で結ぶものと、溝ノ口 - 市ヶ尾 - 中山駅柿生駅間を大山街道経由で結ぶものであった。
川崎営業所は、1940年(昭和15年)6月12日の開設であるが、これは旧・東横電鉄が溝ノ口乗合を買収した際に設置した溝ノ口営業所を、玉川電鉄の吸収合併を経て新丸子に移転し、さらに現在の小杉御殿町に移転してできたものである。現在地への移転当初は小杉営業所と呼ばれており、大東急時代に旧京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)から引き継いだ川崎営業所との兼ね合いで、現所名に改称された。
ちなみに、終戦直後まで神奈川県内の営業所は当営業所の他にやはり旧東横電鉄から引き継いだ「神奈川営業所」が横浜市に置かれていた。1947年(昭和22年)に神奈川営業所が休止されたため、以後1962年(昭和37年)に日吉営業所が開設されるまでの間、神奈川県内のほぼ全路線が川崎営業所に集約されていた。しかし、両市にまたがる大規模な路線網も、終戦直後は大半が休止状態であり、昭和20年代後半まではその復旧が優先された。復旧にあたって、京浜電鉄からの引き継ぎ路線だった川崎住宅線は事実上京浜急行には受け継がれず(同社は休止のまま引き継ぎ、そのまま廃止した。)、分離独立直後に京急グループ入りした川崎鶴見臨港バスが実質的に引き継いだ。この結果、東急バスは川崎市の国鉄東海道線以南から撤退した。
昭和30年代に入ると、多摩田園都市の建設事業が開始され、川崎市では野川・宮前地区において急速な人口増加が始まった。当時は東急田園都市線の開通前であり、人口定着化を図るため、主に武蔵小杉、溝の口を起点としてこれらの地区に向かうバス路線が先行投資的に新設されていった。なお、武蔵小杉における東急バスのターミナルは当初、工業都市(現・東横線小杉駅)にあったが、国鉄武蔵小杉駅前広場の整備に伴い、1959年(昭和34年)12月に小杉駅前に移り、発着路線のルート変更が行われている。
こうした中、1962年に日吉営業所、高津営業所が相次いで開設された。これにより、所管路線のうち日吉駅・綱島駅を起点に横浜市内を運行する9路線が日吉営業所に、主に溝の口から郊外へ向かう7路線が高津営業所に移管され、営業所の規模はほぼ現状のようになった。
その後も周辺営業所との所管路線調整が何度か行われているが、2006年(平成18年)3月には横浜市営バス43系統受け入れのため、玉突きによる路線移管が実施された。野川線と久末線を委託路線の受け持ち営業所である高津営業所に分離する(統合により野川久末線となる)一方、新城線を新羽営業所より受け入れたものである。なおこのとき、43系統自体は青葉台から虹ヶ丘に移管されており、虹ヶ丘からは空港リムジン路線が新羽へ移管されている。
2008年(平成20年)5月28日に、全ての担当路線でPASMOが導入された。
2010年(平成22年)10月1日、同営業所は全ての路線を他営業所に移管し、その営業を終えた。同日に停留所名は「小杉折返所」に変更され、川32・鷺02系統(一部)などのバスの始発・終着機能を維持していたが、2011年(平成23年)7月1日にはこれも終了し、「小杉御殿町二丁目」へ再改称された〔武蔵小杉ライフブログ 2012年11月6日付「東急バス川崎営業所跡地「ジオ・イニシア武蔵小杉」による府中街道の歩道整備 」〕。同営業所の跡地はコスモスイニシア阪急不動産によるマンション建設が進められ〔川崎市ホームページ2013年4月12日付 川崎市建築物環境配慮制度(CASBEE川崎) 2011年度(平成23年度)受付分 「11008 ジオ・イニシア武蔵小杉 」〕、7階建ての「ジオ・イニシア武蔵小杉」が2012年(平成24年)9月に竣工した〔東急建設株式会社災害防止協力会 会報「みどり」120号18ページ、2013年2月号〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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